【広聴・広報】ふるさと物語 84 『仏教関係の地名と屋号』屋号や地名の話(3)
最終更新日:2023年03月27日

「ふるさと物語」【84】〈昭和46年7月10日発行「広報しわ」(第192)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、〇〇町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『仏教関係の地名と屋号』 屋号や地名の話(3)

上松本の東円地、土舘の弥勒地、片寄の円満地・阿弥陀地・常泉地、桜町の戈土地。北田の道地などのように、「地」のつく地名や屋号は、寺院に由来するものと思われます。本来は寺の文字を用いていたものが、廃寺に伴っていつともなく「地」の文字を当てるようになったものでしょう。平泉の藤原清衡は、ほぼ今の大字くらいの地域に一ヵ寺を建立したと伝えられますが、これらの中には、その寺院跡であったものもあるかも知れません。道地の地名は、旅人の便に供するるために交通の要地に建てられた寺院の名ごりだとする説もあります。
「坊」のつく地名や屋号の大部分は、寺院に付属した坊舎の名ごりだとみてほぼ間違いがありません。土舘の新山寺が栄えていたころには、十八坊舎があったといわれますが、そのうち法什坊・滝の坊・東の坊・西の坊・北の坊・中の坊・法道坊・羽黒坊・崎の坊・五戈坊などが知られています。南日詰の東の坊・下東の坊・中の坊・南の坊・赤井坊・大日坊は大荘厳寺に付属した坊舎であったと思われるし、高水寺の斉正坊や二日町の大坊・大覚坊は高水寺の坊舎に由来するものと思われます。
寺屋敷、坊屋敷・古寺・元寺・横寺・寺沢・山寺なども寺坊の名ごりであることはいうまでもありません。土舘の寺屋敷は盛岡源勝寺の旧地であり、上松本の古寺は升沢極楽寺の旧地、彦部の寺沢は瑞泉寺のあったところ、山屋の山寺は山谷寺のあったところ、佐比内の元寺は鳳仙寺の旧地といわれています。上松本の寺屋敷も盛岡源勝寺の旧地と伝えられています。
この外、寺院や仏堂ないしは仏と関係あるものには、京田(経田)・油田・寺田・御堂前・堂の前・門前薬師堂・大日堂・千手堂・高入堂・阿弥陀堂・八尺堂・毘沙門・不動・観音前・寺の下・尼寺・行人平・行人坊・行人橋・牡丹野・牡丹森などがあります。経田と油田(燈油田)は永代供養のため寺院に寄進した田地であり、行人とは修行僧の一種であります。また、牡丹野は薬草としてボタンを栽培した薬草園の名ごりであり、多くは寺院によって経営されました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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