【広聴・広報】ふるさと物語 156 『 社会福祉につくす人-松坂賢三ー』 近代人物脈 (35)
最終更新日:2023年03月27日

「ふるさと物語」【156】〈昭和52年7月10日発行「広報しわ」(第262)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、〇〇町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『社会福祉につくす人-松坂賢三ー』 近代人物脈 (35)

松坂賢三は佐比内の人。明治二十七年生まれ。大正二年〇〇県立盛岡農学校卒業。
大正八年に与望をになって〇〇郡会議員に当選したのを初め、永年にわたって佐比内村議会議員や〇〇町議会議員をつとめられ、特に村議会議長及び町議会副議長として活躍されました。また、佐比内村農業会会長・同農業協同組合長・〇〇町監査委員・同社会福祉協議会長・調停委員などの要職を歴任されて、地方自治の振興とその道の発展に寄与されるところがきわめて大でありました。そのため、昭和四十二年には、これらの功績が認められて勲五等瑞宝章を授与されています。
このような公職を通じての事績もさることながら、これと並んで評価したいことは、里親として薄運の子どもたちを育て上げてきた篤行についてであります。この里親のことが制度化されるようになったのは、児童福祉法(昭和二二)が制定されてからのことですが、国民が里子の養育を始めたのはすでに大正初期のことでした。そして、それ以来、現在までに十人の里子を育ててきています。その熱意のほどが知られましょう。
これらの里子は、程度の差こそあれいずれも暗い境遇のもとに生まれ育った者ばかりでした。たとえば、Aの場合は、両親が首つり自殺をしたのに加えて火災にもあっていますし、Bの場合は、父親がひどいのんべいで姉娘を遊女に売ってまでものむという仕末でした。また、Cの場合は、生家が貧乏の子だくさんで、親がなまけ者で盗癖があってと、最低の典型みたいな環境でした。そのため、里子の性格にもかげりがあって、養育の苦労もひととおりでなかったし、それに、里親制度が確立する以前は補助金が皆無であったから経済的な負担も多かったのですが、それにもかかわらず、就職や結婚によって一人立ちできるまで親身になって養育を続けられました。その中には、看護婦になった者もあり、独学で保母試験に合格して現に就職中の者もあります。
昭和五十一年には、その篤行が認められて、全国社会福祉協議会長の表彰を受けています。

---佐藤 正雄(故人)---

 

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