【広聴・広報】ふるさと物語 77 『南面の桜』昔話と伝説(8)
最終更新日:2023年03月27日

「ふるさと物語」【77】〈昭和45年12月10日発行「広報しわ」(第185)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、〇〇町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『南面の桜』昔話と伝説(8)

志賀理和気神社(桜町)の参道左側に「南面の桜」とよばれる桜の老木があります。これには次のような悲恋の物語りが伝えられています。むかし、この神社の近くに藤原頼之(よりゆき)という人が住んでいました。彼はもともと京都の貴族でしたが事情があってこの地に落ちのびていたのです。
頼之は志賀理和気神社を厚く信仰するようになりました。そして社頭に桜の並木を植えて奉納しました。
ある時、大巻館の城主川村少将清秀が一族郎党を引きつれてこの社頭で花見の宴を催しました。頼之も京都の貴族ということで特別に招待されてその席にはべっていましたが、ここで、はからずも一人のみめうるわしき乙女をみそめることとなりました。彼女は清秀の娘でその名を桃香といいました。二人はこの日を縁として急速に結ばれるようになり、深く愛し合う仲となりました。
ところが、それから間もないころ頼之は突然のっぴきならない事情がおきて京都へ帰らなければならなくなってしまいました。二人は身をきられる思いで別れを惜しみながらも、やがての再会を固く約束し合いました。そして、そのしるしに一本の桜を植えました。
それから三年の歳月が流れ去りました。この間、桃香はくる日もくる日も南の空をあおいで思いをはせていました。しかし、頼之は帰ってきませんでした。思い余った桃香は、ある日、志賀理和気神社の社頭に手植えの桜をたずねました。そして、まぶたに頼之を描きながらふと見上げると、ふしぎなことに桜の花はことごとく南面を向いて咲いているではありませんか。桃香はさっそく一首詠じました。
南面を慕いて花は咲きにけり 都の人にかくとつげばや
これを知った頼之は、桃香の純情に動かされて、間もなく彼女を迎えに帰ってきました。そして、二人は永遠のちぎりを結びました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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